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終戦へ

セバストポリ陥落直後にザカフカースの要衝カルス要塞がロシア軍の前に降伏したことから、事実上の戦勝国はなくなった。パーマストン首相はもう少し戦争を継続してイギリスに有利な状況で終わらせたかったが、フランスのナポレオン3世が世論を受けてこれ以上の戦闘を望まなかった。フランスの陸軍を頼りにしていたイギリスは、単独ではロシアと戦えなかった。結局両陣営はともに、これ以上の戦闘継続は困難と判断した。

時を同じくしてロシアではニコライ1世が死去し、新たに即位したアレクサンドル2世は、かつてのオスマン帝国の全権特使でありロシア軍の総司令官であるメンシコフを罷免した。こうして同盟国側と和平交渉が進められていった。もっとも、明確な戦勝国のない状況で始められたパリでの講和会議は、戦争終結に貢献したということで発言権を増したサルデーニャ王国のカミッロ・カヴールのロビー活動によりハプスブルク批判に終始し、結局は大まかなところで戦前の大国間の立場を再確認するにとどまり、開戦当初に掲げられたポーランドの解放やバルカン諸国の安全保障などは完全に無視された。

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こうして1856年3月30日にオーストリア帝国とプロイセン王国の立会いの下で、パリ条約が成立した。多くの歴史学者が認めているように、この戦争で産業革命を経験したイギリスとフランス、産業革命を経験してないロシアの国力の差が歴然と証明された。建艦技術、武器弾薬、輸送手段のどれをとっても、ロシアはイギリスとフランスよりもはるかに遅れをとっていたのである。

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2009年10月06日 01:59に投稿されたエントリーのページです。

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